サンクリニック原宿 東郷 實元院長 (原宿) インタビュー
明治神宮前駅から徒歩3分の好立地に医院を構える「サンクリニック原宿」は「早期発見」を大事にしているクリニックだ。患者さんの病状により必要な場合は基幹病院専門外来へ速やかに紹介する。
『ある本で呼んだ文章が心に残っています。「歩み寄る人にやすらぎを、去りゆく人には幸せを」という気持ちで診療を続けています。開業医として目指したい境地ですが、人生においてもなかなか難しいことです。』と語る東郷先生に、ドクターになったきっかけや思い出に残るエピソードなど、さまざまなお話を伺った。
東郷 實元院長インタビューなぜドクターになられたのでしょうか?
私は小学校まで田舎の実家で育ちました。二階への階段の壁は本棚となっており古い手術器具(鉗子・鋏など)や解剖図鑑などの医学本がありました。また、玄関に入り右方に当時としては珍しい「コンクリート造りの大きなトイレ」があり、以前この場所に手術室があったことを知りました。
私の曽祖父は明治の始め、西洋人医師に西洋医学(臨床診療・手術など)を学び、家を継ぐために田舎の実家へ帰り開業しました。最新の医療技術(婦人科・外科手術)と漢方医療が評判な医院となりました。
また、曽祖父は途中で村長に就任しますが、医療現場では多くの患者さんが待っていたため、数ヶ月後に役職を辞し再び医業に専念しました。厳格な曽祖父は患者さんには丁寧な言葉を使い優しかったそうです。
折に触れて両親に曾孫を医師にしてくれと言っていました。高齢となるもその日も遅くまで診療し、深夜急病死しました。その10年後に私が誕生し、高校に入った頃には二度ほど母に医学部進学をすすめられていました。そのようなこともあり、高校二年になると「医者になる」と心に決めていました。
同じ本棚に父が戦前購入したシリーズものの「たくさんの写真入り英語雑誌」が何十冊と並んでいました。小さい頃より踊り場で、英語は分かりませんが写真が面白くて読み耽り眠り込み、気がついたら周りが暗くなっていました。その本に載っていた写真は、自然・産業・文化映画関連・米国内世界各地の大都市などでした。このような経験が米国への研究留学に影響したと思います。
アメリカではどのようなご経験をされたのですか?
1982年米国シアトルでの国際がん会議出席後、病理の恩師・先輩と別れ、一人知人に紹介されたワシントンD.C.隣のべセスダにある米国立がん研究所(National Cancer Institute:NCI)病院の病理部へ向かいました。
スーパーバイザーは「がんの浸潤・転移」研究室長であり上部組織の病理部の部長でもありました。最初の7ヶ月はゲスト・ワーカー(Guest Worker:無給)でしたが、研究に没頭し徹夜仕事もし、各国から来ている研究者や職員とのコミュニケーションに努めました。その後ビジティング・フェロー(Visiting Fellow:有給)として2年2ヶ月間勤めました。当時日本とインドからの研究者が多く、その真面目な研究態度と成果が評価されていたと思います。
昨今、日本から海外への研究・学生留学が減少していることは、残念なことです。海外生活の経験により広い視野から世界の中の日本を観察し、より深い洞察ができると思います。海外での研究生活は試練が多いですが、勇気を持って挑戦してもらいたいです。
嬉しい思い出としてNIH(National Institutes of Health:国立衛生研究所:NCIはその中の一研究所)の空手クラブから依頼されて、副会長ら10数名に合気道を教える機会に恵まれました。毎週土曜日の午後、約1年間指導をしていく間に、彼らとの親睦・信頼感が築かれました。コミュニケーションは対等のレベルで、相手(滞在する国・人)への敬意・誠意と情熱をもって、より深くなると信じています。
なぜプライマリ・ケアの領域に進んだのですか?
卒業後、臨床医学・基礎分野へと仕事を続け、その後一般病院で勤務しながら、「開業医として多くの患者さんを診察・治療するのみでなく、地域の一員として地域への貢献活動に参加する自分の姿」を思い浮かべるようになりました。地域に密着し、町内会の催しへも出席し、飲食を共に楽しむことは仲間としての間柄となり、また「われわれの町の医者」と呼ばれるのは、ありがたいことです。曽祖父の「開業医としての生き方」、「小さな田舎における地域社会への医療での貢献」などが脳裡に浮かんできます。
思い出に残るエピソードを教えてください
長年医療に携わるどの医師も患者さんについての心に残る多くのエピソードがあると思います。私も多くの患者さんを診察し、手術し、残念ながら多くの方々の最後を看取ってきました。
私が20代の頃、大学病院の外科外来で診察した女性の患者さんは直腸の進行がんでした。入院され私が主治医となり手術の第一助手となりましたが、その後再発され再入院されました。
残念ながらその患者さんの病状は進み最後を看取りました。二人のお子さんは幼く、とくに下のお子さんのことを案じられ、「下の子が小学校に入るまで生きたい」と訴えられた言葉が忘れられません。
早期がんであれば救命できます。内視鏡検査にて消化管ポリープ・早期がんの診断・治療に力を入れました。
以前、午後を休診にしてクリニックから患者さんを搬送したこともあるとか...
クリニックで外来診療中に、急変する可能性のある患者さんが受診することがあります。胸痛(狭心症・心筋梗塞など)、頭痛・めまい(脳梗塞・くも膜下出血など)その他で、すぐに診断し、専門外来・救急外来へ救急搬送します。
女性の会社員の方は、午前中に軽度の腹痛で受診し、腹部触診も行い処方しました。しかし、午後になり「どうしてもお腹の具合が改善しない」と再び来院され、腹部触診にて「午前中と所見が異なり緊急手術の可能性あり」と判断し、救急車に同乗し基幹病院へ搬送しました。緊急手術となり、無事回復し、退院後クリニックに来られました。
私は一般外科医として救急の現場で働いていました。すばやい対応の重要性をつくづく感じます。
どのような患者さんが多いのでしょうか?
近隣にお住まいの方・勤務の方、遠方から健診で・知人の紹介で来られる方、外国人の方など様々な患者さんが受診されます。転勤されても上京の際、受診される方もいます。ありがたいですね。
戦前・戦後から長く原宿に暮らしている、年齢的に私の先輩の方々に昔話を聞きます。木造建てしもた屋の町並みが写った写真集も見たりします。東京オリンピック以後大きなビルディングが急速に建てられましたが、その前まで原宿駅は乗り降りする人も少なく閑散としていたそうです。そういう先輩の方々、家族の方々がこの原宿の町を守ってきたのですね。長い歴史とともにこの町のすばらしさがあります。
私も原宿の町の一員として、町内会の新年会・納涼会・祭の御輿・年末の防犯パトロールなど参加しています。
医師としてやりがいを感じるのはどのようなときですか?
専門外来へ紹介した患者さんが、検査・治療を済ませ外来に来られ、元気な顔を拝見するときはうれしいです。町を歩いていても、町内の方々と「笑顔で挨拶する」、「一言二言声をかける」ということが日々の喜びでもあります。
どんな病気でも進行すると治療は大変です。がんを早期発見することで助かる命もあります。当院のような第一線のクリニックの使命もそこにあります。患者さんとのコミュニケーションは重要で、同意を得てがん専門病院への紹介を行っています。当院のスタッフ全員の協力をもって、より良い医療を志しています。
長年続けてきた秘訣を教えてください
医療では患者さんと医療従事者とのコミュニケーションが大事であると思います。患者さんは来院するまで「重い病気だったら」と不安なものです。挨拶と笑顔で迎え、丁寧な言葉遣いを用いる。そして診療をとおして少しでも安心していただきたいと思います。
薬剤についてもより細かな配慮をして、救急外科処置など病院の救急外来が望ましいと判断したらただちに紹介します。
専門外来への予約は患者さんが納得していただいてから紹介状を書きます。また専門用語を多用せず分かりやすい言葉を使い説明します。医師は耳を目を向け「細心の気」を配ることが大事と思っています。人という「人格」に接し、病気を診る。難しい命題でもあります。
院長プロフィール<経歴>
1973年3月 鹿児島大学医学部卒
1973年5月 医師国家試験合格
1973年6月 研修医(麻酔科・脳外科・一般外科・心臓外科)
1975年4月 東京慈恵会医科大学第一外科勤務
1976年12月 癌研病院外科 勤務
1978年4月 筑波大学基礎医学群病理にて研究
1982年9月 アメリカ国立癌研究所病理(NCI-NIH) にて研究
1982年3月 医学博士号取得
1986年 癌研病院外科・民間病院勤務
外科・一般内科・整形外科リハビリテーションなど広範囲の医療に携わる
2000年5月 サンクリニック原宿開院
<専門医>
日本外科学会 外科専門医
日本消化器外科学会 消化器外科専門医
<その他>
渋谷武道クラブ主宰
サンクリニック原宿 アクセスマップ
住所 | 東京都渋谷区神宮前6-27-8 京セラ原宿ビルB1F |
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電話番号 | 03-5766-0257 |
アクセス |
JR「原宿駅」より徒歩6分 東京メトロ千代田線「明治神宮前駅」4番出口より徒歩3分 東京メトロ副都心線「明治神宮前駅」7番出口より徒歩2分 |
診療科目 | 内科・胃腸科・外科・肛門科・理学療法・AGA・ED |
診療時間 | 9:00~12:30/14:30~17:00(火曜と木曜は17:30まで) |
休診日 | 土曜、日曜、祝祭日 |
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